リタイアを想定している方がジレンマに陥るタイトルだと思います。
十分な資産を形成しても、それに応じた生活を手放すことは困難でしょうから、本当に悩ましいことだと思います。
辞めるのは簡単ですが、それ以降の生活費に問題が出ると思っているから、二の足を踏んでしまうのでしょう。
ところが、60歳で強制退場が待っている訳ですから、どこまで踏ん張るかはもう、思想の問題です。
幾ら綿密なシミレーションをしても時間は二度と戻りません。
私がいくら昇格しようが、収入が増えようが余り意に介しないのはこれが最大の理由です。
ストレートに言いますと、多くの方は辞めることが最大の目的であり、蓄えた資金でどの程度生き永らえられのかという、消去法の発想から抜け出せていないのではないか、そう感じています。
それだからこそ、サイドFIREという概念が出てきますし、労働収入以外の確保は困難であることの裏返しではないでしょうか。
結局のところ、昨今のFIREブームは別の生き方があるという一つの選択肢が表に出てきただけで、昔からあるスタイルでもあります。
それだけ、今の時代は生きづらい世の中なのでしょう。
さて、会社員はもう絶滅危惧種であり、実社会では露骨な足の引っ張り合いが露呈しています。
私の勤め先でもそれが顕在化しており、成長の足かせとなっています。
どのような状況か単純化すると、
無謬性を際限なく追及している
ということです。
つまり、ミスは何が何でも避けなければならないという過剰防衛反応です。
こうなってくると、目標達成は二の次になり、ミスをしないという事が最大のミッションになっているということです。
また、これが厄介なのは、筋論では正当性があり、ないがしろにできないという点です。
まあ、こんな世の中ですから、自分が一番可愛いのです。
こんな組織に自分の人生をかけるのはどうなのかという気づきに反応したのが、FIRE民ではないかと思っています。
あくまで個人的な見解ですが、サラリーマンとして社内営業に長けた人間ほど、スキルが積みあがらず、人間関係だけで乗り切ろうと考えている人物が増えたと率直に感じています。
そうすると当然、組織力は低下の一方であり、明日の事より今日の事でしか物事を見なくなってくる人物が増殖していきます。
少なくとも、私的には健康寿命が最大の問題と感じていますので、来春の退職はなんとしてでも完遂したいと先手を打っている所です。