サラリーマンは退職後に何故、同じ会社の人と縁が切れるのか①

このタイトルはいつもの仲間と飲んでいる時に、同席した知人から出た言葉でした。

それに対して例の友人が発した解答が秀逸に思えましたので、ご紹介します。

「例え話だけど、AがBのことを『あいつは仕事も出来ずお荷物だ』とCとDに話したとする。しかし、人の口には何とやらで、CがEとFに『AがBのことをこんな風に言っていたよ』という話をする。ところが、EはBと懇意で『Aがこんなことを言っているらしいということを耳にしたよ』という話があった。」

「良く分からないな~」

「つまり、AはBに対する悪感情を第三者に話したことによって、その内容が伝播し、CやDもAはこんな陰口を叩く人物だということでAに対して警戒心を感じることになる。また、Bは伝聞の形でAが自分のことをそんな見方をしていると知ることになる。」

「それならBはCとDには悪感情は無いよね」

「ところが話はそう単純では無い。CやDがAとその場にいたということは少なくともその場ではAに同調していたはずだと考え、Bはいい感情は持たないだろう。」

「あいつは素晴らしいとか凄いという話より、あいつはダメだとかネガティブな話がサラリーマン社会では、ほとんどなんじゃない。先のA~Fも悪い話が循環しあって、誰もプラスにならない。以前話したサラリーマンは共喰い種だということさ。」

「全部がそうじゃないと思うけどな~」

「いや、そんなことはない。ゼロでは無いけど、ほぼゼロ。だから退職後の付き合いは実際ほぼ無いでしょ」

「う~ん、確かに。退職後は連絡を取り合うどころか、年賀状すら届かなくなり、地域社会にも溶け込めず孤立していると何かの記事で読んだことがある。」

「理由は簡単で、会社勤めの間、『一人の人間』として関係しあうことなく、『ただの歯車の一つ』としての部品同士の関係にしか過ぎないからだ。部品には意思は求められていないだろ。」

「社員が歯車とはよく聞くけど、部品とまで言われるとはな~」

「実際そうだろ、例えば「佐藤支店長」や「鈴木部長」という上司がいたとする。決して、『佐藤さん』や『鈴木さん』と付き合っているわけではなく、『支店長』や『部長』という『肩書』とだけ『付き合わせられている』のが実態だろ。そこに人間性は求められていない。」

「そうだよな。社員間の関係がどんどん希薄になってコミュニケーションが理由のトラブルが頻発したために、突然、役職ではなく〇〇さんと呼ぶよう会社から指示が出たよ。」

「そうだろ、そんな会社は決して、社員の職場環境を良くしようと考えているのではなく、業務の一環として『さんづけ』で呼ぶように人事部が何らかの対策を取ったというアリバイ作りが本当の狙いだ」

「そうそう、〇〇さんと呼んだところで、何かが変わったわけではなく、結局肩書で呼び合うのに戻っているよ。」

「姑息な会社は実際の業務や指揮命令系統は全く変わっていないのに、役職名を変えようとする。この前話題になったテレビ局でADを大事にしないと現場が回らないからと手のひらを返したように、何か偉くなったような肩書の役職名に替えようとしているとしたのと同義だ。でも仕事内容は全く変わらない」

「最近感じるのは、社員のレベルやモチベーションが落ちたのか、顧客とのトラブルが頻発し、その原因はコミュニケーションに由来することが多くなっている。」

「社員の問題では無いと思うよ。実は経営陣にやる気自体が無いからだ。自分の在職中のことだけ考えているから、会社を良くしようと考える動機づけが無い」

(つづく)

 

 

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