【輝いていた昭和】去勢された現代

何だかノスタルジックなタイトルですが、若手の社員と飲みに行った時の話題です。

 

最近テレビやラジオでは昭和時代の音楽がかなり多く流れています。

視聴者が昭和時代の老人になったからだとは思いますが、その若手社員からは、昭和時代の音楽はワクワク感がしっかり伝わってくる感じがするという話がきっかけでした。

 

何でそう感じるのか聞いてみましたら、誰かに忖度していない、ストレートな歌詞や曲調がそのように感じるそうです。

 

最近の曲と何が違うのかとも聞いてみましたら、最近の曲はどこかで聞いたことが有るようなテンポだし、しかも似通っているし、何と言っても、歌詞に重みが無く、伝わってこないということでした。

 

この話を聞いた時に、私もそのように感じていたので、この話題で大変盛り上がりました。

 

私は一気に、

 

私の若手時代は、他人の事なんか考えず、ストレートに自分の想いをぶつけていたし、何度も上司や同僚、顧客と衝突していた。

それを上司や同僚、顧客も同じく、いや、それ以上の熱量でリアクションされたことが今の血となり肉となっていることを実感している。

今は、そこそこ波風立てずに、平穏に過ごすことが王道というような、まるで去勢されたかのような雰囲気になっていて、それがどこか達観したかのような、他人事で仕事に取り組んでいることが、停滞の原因だとずっと思っていた。

失敗したことを評価する余裕が上司や会社に無くなっていることが、成長を妨げている。

所詮、他人の事なんか、誰も本気で考えなくなっているんだったら、思いっきり失敗や評価を恐れずにトライしてみてはどうか。

 

と話をしたところ、

 

実は、退職しようと思っていました。今のお話を聞いて、自分なりにやれることをダメ元でトライしてみます。

評価という、自分ではコントロールできない偶像に怯えていました。

不完全燃焼で辞めるというのと、やることをやって辞めるというのでは、雲泥の差ですよね。

今日は、本当にいいお話を聞かせて頂いてありがとうございました。

 

という感じで、締めとしました。

 

今の社会で平成大不況の真っただ中に社会人になった世代からすると、

失敗は悪

という、風潮が染み込んでいるんでしょうね。

 

私も本音でお伝えしますが、

 

評価も所詮仕事

 

ということです。

この記事を目にしている若手の方がいれば、このように伝えたいです。

 

 

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