【年寄りが自分で言うこと?】敬老とは他の人が敬うことでは?

先日、電車に乗っている時に赤ちゃんを抱えたお母さんが優先席に座っていました。

すると、停車駅で乗車してきた老人夫婦が優先席前に来て、お婆さんはお母さんの隣に座り、お爺さんは立っていました。

ところが、そのお爺さん、といっても、60代程のまだまだ見た目は元気でしたが、

「年寄りは敬うものだ、席を譲りなさい」

とそのお母さんに大きな声で怒鳴りつけるではないですか。

お母さんはびっくりして、直ぐに席を譲ろうとしたところ、私はあまりにも理不尽に感じたので、私の席をお母さんに譲ろうとしました。

ところが、他の乗客が先に

「敬うというのは、他人が尊敬の意味を込めて敬うことであり、自分で言うことではない。あなたを敬う価値は無い。」

と他の乗客にも聞こえるような声で諭したところ、拍手喝さい。

そのお爺さんは、

「うるさい!」

などと、訳の分からないことをわめいていましたが、暴力沙汰にお母さんが巻き込まれると大変なので、私はそのお母さんを他の席に誘導しました。

お婆さんは、おろおろするばかりでお爺さんをなだめようとしていましたが、お爺さんは文字通り、暴走老人と化していました。

その間に、停車駅となり、バツが悪くなったのか、そこで下車していきました。

その際にも、他の乗客から拍手喝さい、というより「出てけ!」という感じ。

お母さんは、周りの方に赤ちゃんが起きないよう、軽く会釈していました。

そこで、ふと周りの状況を見た時に、ざっくり、半分以上がお年寄りのように感じました。

確かに、人口構成から見ますと、年寄の比重が大きくなってきており、その人たちがすべて「敬老の精神」を訴えてきたら、年寄以外はどうなるんだろうと、ふと頭をよぎってしまいました。

むしろ、老人を支えている「若者の日」のような若者を称える祝日の制定が必要になるのかも( ^ω^)・・・。

 

今回の件は、社会性が無くなった老人が自分の世界観で世の中を生きていることから始まったと思っています。

現役時代は、企業戦士として働き、定年という強制退職によって、社会から分断され、会社以外に居場所のない人間が陥る寂しい老後を迎えているのだろうと。

 

私の退職後の大きな教訓となった出来事でした。

 

 

 

 

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