【人生がルーティン化?】もはや自分の人生では無い

物価高や増税などによって、日常的な生活がかなり萎縮し、テレビでは時間帯を問わず、節約番組やお買い得(らしい)店舗の番組ばかりで、以前記事にした、辛辣な言葉で「貧困ビジネス番組」と化している感が否めません。

また、減税は必要だとは思いますが、収入増を伴わない減税では、効果がかなり限られることから、収入源の複線化に行き着くのではないかと考えています。

ただ、アルバイトを掛け持ちするなどの単純労働収入では、こちらも結局は自分の時間の切り売りでしか無いため、働く時間の割には充実感が乏しく感じられると思います。

いずれにしても、一ヶ所の収入で足りないからこそ、副業の話になるわけで、しかも本業の給与収入が増える見込みは、ほぼ期待は出来ないため、やはり資産運用をメインにしていくしかないと感じています。

 

何を言いたいのかといいますと、「今日を生きていくだけの日銭暮らし」に世の中が傾いてきているのではないか、と心配しています。

つまり、明日の事よりも今日のことが何より大事で、そのために中長期的なライフプランを立てることが難しくなり、日銭稼ぎに日々、時間を費やすることとなっているのではないか。

そうならないよう、庶民は踏ん張ってはいますが、物価高を節約だけで補うことはできないため、これまでの貯えを取り崩しながら、ゆっくりと滑り落ちているのではないかと感じるようになりました。

 

このように感じましたのは、地元のスーパーで同じような時間帯に同じような顔ぶれを見かけることが多くなり(私もその一人ですが)、しかも夜の9時過ぎにも関わらず、高齢(見た目で70歳以上)の方がこれまでより、遙かに増えた感があったからです。

見切り総菜品などを目的に来店されていますが、それは日持ちするものでは無いため、今日・明日食べるための行動なのでしょう。

今日生きていくためだけの生活のルーティン化は、人生のルーティン化と同義と私的には考えています。

 

退職後の収入源をどれだけ労働収入以外でカバーできるのかあれこれ試算していますが、株価の変動とは関係なく、現在の生活レベルは維持できそうなのは幸いです。

今となってはですが、バブル時代や若手社員時代に遊び廻らなかったことが、その時から30年以上経過しても基本的な生活水準を維持できる柱になっていることを痛感しています。

今でもそうですが、節約生活が身についていることがこれほど大きな効果を維持・継続できている源です。

 

プライバシーポリシー お問い合わせ