先日、ある経済学の本を読んでいた時に出てきた言葉でした。
端折って説明しますと「収入が上がっても、それに応じて支出も増えて、収入増=満足感増とはならない」ということでした。
確かにその通りですね~
30代までは収入を増やして、更に良い生活をしたい!と真剣に思っていましたが、40代に入ったところで、ラットレースに嵌まっていると気がつき、無駄金を使わない生活にシフトチェンジしました。
ここで言う無駄金とは、同僚とつるんで飲み歩いたり、ランチに集団で食べに行く、ついで買いをやめるなどです。
昭和の時代までは収入が増加する(=させるではない)ことによって、生活レベルをアップさせていくという上昇志向が主流であったとは思いますが、サラリーマン的には不況が何十年も続いている状況から節約志向の方が上回ってきたのが現状ではないでしょうか。
それが日本版FIREがブームになった一つのきっかけであったと考えています。
ただFIREは生活レベルを下げること自体が目的ではなく、生活レベルの自己最適化を図ることによって、生活の質を向上させることに主目的があると私は理解していますので、ヘドニック・トレッドミルとは縁がありません。
もちろん、上昇志向自体を否定しているわけではございません。
私の職場でもFIREが話題になることがありますが、どちらかというと生活の最適化を図る目的の意味を強く感じます。
以前、会社の給与体系が大きく変更され、若手の給料を引き上げることによって、退職者を引き留めようとしましたが、予想通り、退職者が増加する傾向は変わりませんでした。
なぜなら、「月給」は上がったが、「年収」は下がったためです。(もちろん、収入だけが理由ではありませんが・・・)
同業他社に株を握られていることから、いずれ吸収合併されることを前提に、同業他社並みの給与体系(今より下がる)に合わせることを準備し始めていると見ています。
私の会社の業界は純粋に国内産業で、寡占化が進んでいることから、成長余力が乏しく、M&Aなどによって経費削減を目指していくことが一つの選択肢となっています。
経費削減でしか利益を捻出できないとなると、新規事業の創出が考えられますが、人材の流出に拍車がかかっていることから、現状を維持することだけで精一杯になっています。
私の部署でも今、あと一人退職すると事実上、業務が破綻するくらい一人当たりの仕事量がひっ迫しています。
それで、年収が下がるのですから、社員としてはたまったものではありません。
やはり、FIRE思考(=指向)は今の社会では絶対に必要な概念と改めて感じています。