サラリーマンは消耗品。だけど誰の?

現在の勤務先は、第三者に株の半数以上を買い占められてしまい、事実上、植民地の様に配当捻出や原価無視の売上確保のためだけの取引(押しつけ)先として掃きだめ的な会社になっています。

そのため、毎年無理ゲーな目標が割り振られています。

更にその買い占めた会社がコロナ禍で業績不振のためか、前期末配当の大幅増額が発表され、来期の目標はその増額後の配当額に更に上積みを目指す数値が事実上、課せられることとなりました。

 

このような状況を目の当たりにし、資本主義を実感しているところです。

 

その一方、社員はどうかといいますと、働き方改革という名のもとに、生涯賃金の大幅削減が実施されました。

見かけ上、若手社員は多少給与ベースが上がりましたが、生涯賃金ベースでは歳と共に実質的に減っていくという給与テーブルとなっています。

簡単に説明しますと、これまでは給与が年齢とともに上昇していくパターンでしたが、その上昇分を前倒しして若手のうちに給付、その一方、中高年になりますと若手と大差がない給与パターンになったのです。

一言で言いますと「安く長く使う」という給与体系です。

 

ところが、若手社員の多くは目先の給与が増えたことを喜び、後先を考えていないようで、実態を説明するのはまずいため、黙っています。

 

とはいえ、そう遠くないうちに「お家騒動」が再発すると見ていますので、ギャラリーとして見物していくつもりです。

 

結局、サラリーマンは代替性の高い汎用品かつ消耗品であり、会社依存は極小化していかないと、自分の人生を自分で決められない、寂しい人生になってしまう、そう思ったことがFIREを目指すきっかけとなりました。

 

サラリーマン役員を含め、そのループから逃げ出すことはできませんので、お金と自分の人生を比較することはとっくに辞めています。

 

取り留めのない話ですが、FIREのきっかけは結局、仕事への満足感や充実感の低さが原因の一つでしょうから、現実逃避できるだけの資産形成とキャッシュフロー創造に注力すべしと自分の中では強く意識しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プライバシーポリシー お問い合わせ